『家のなかの絵(The Picture in the House)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

『家のなかの絵(The Picture in the House)』は、1907年に執筆された初期のラヴクラフト作品であり、ニューイングランド地方の田舎の旧家に巣食う異常と恐怖を主題とする短編小説である。
創元推理文庫の『ラヴクラフト全集3』に収録されている。
目次
注意
読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。
書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。
物語概要

本作は、古びた農家を舞台に、文明から隔絶された風土と人間の堕落した姿を描き、恐怖が外部の異界ではなく、内なる人間性の暗部に潜んでいることを示唆する内容となっている。
語り手である青年は、系譜調査のためにマサチューセッツ州のミスカトニック谷を旅する途中、嵐に見舞われて人里離れた一軒の古屋に避難する。
そこで出会ったのは、年老いた住人であり、奇怪な風貌と不気味な語り口をもつ人物であった。
屋内で目にした奇書『ピガフェッタの『コンゴ王国』に描かれた食人風俗の挿絵に、老人が異常な執着を見せるにつれ、語り手は徐々に恐怖を募らせてゆく。
そして、屋根裏から滴り落ちる血のような赤い液体、老人の発言にこめられた隠された殺意と食人の暗示、最後に落雷によって家が破壊されるという超常的ともとれる終局に至って、語り手は狂気の一歩手前で忘却へと逃れることとなる。
登場人物
語り手(主人公)
家系調査のためニューイングランドを訪れていた青年。
知的で理性的だが、神秘的なものや因習に対する直感的な恐怖心を持つ。彼は科学と歴史への興味から田舎を訪れるが、旧家に巣食う異常と狂気に直面し、恐怖に取り込まれかける。
老人(名前不詳)
古びた家に住む、身なりの悪い異様な風貌の男。
外見は年老いているが、異様に頑健で、しかも口調や言葉遣いに17〜18世紀的な痕跡を残している。
彼は読み書きが不得手であるが、ピガフェッタの挿絵に異常な関心を示し、「罪深い食人の快楽」に取り憑かれたような発言を繰り返す。
彼の年齢や人間性には謎が多く、非自然的な長命者であることが暗示されている。
地名・舞台設定
ミスカトニック谷(Miskatonic Valley)
ラヴクラフト作品で繰り返し登場する架空の地名で、マサチューセッツ州をモデルとした田舎地帯である。
本作では、ミスカトニック河流域の中でも特に人里離れた山間の農家が舞台となっており、文明から隔絶されたこの地において、古き迷信や異常風習が密かに継承されていることが示唆されている。
家の内部(古農家)
登場する家は18世紀以前に建てられたと思しき木造の農家であり、内部には時代遅れの家具や古書が並ぶ。
特に書棚にあった『ピガフェッタのコンゴ王国』は、恐怖の導入装置として機能する重要な小道具であり、挿絵の第十二図──食人の図が、物語の焦点となる。
解釈と主題
本作の恐怖は、外部のモンスターではなく、人間内部の獣性と堕落、そして隠された欲望に根ざしている。
文明と信仰によって封じられていたはずの原始的な欲望、とりわけ「人肉嗜食(カニバリズム)」という禁忌が、隔絶された環境において、なお生き続けていたことが描かれる。
また、老人の不自然な長命や古語を使う口調、過去の歴史との齟齬などから、彼は単なる狂人ではなく、非人間的存在に近づきつつある者、あるいはすでに人間を逸脱した存在であることが暗示されている。
『家のなかの絵』は、ラヴクラフトにとって恐怖とは何か、文明とは何か、人間とは何かという問題を探る初期の傑作であり、後のクトゥルフ神話の舞台設定と「忘れ去られた異常の温床としてのニューイングランド」という概念の原型をなす作品である。