『ダニッチの怪(The Dunwich Horror)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

ラヴクラフト全集 5 | H・P・ラヴクラフト, 大瀧 啓裕 | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

H・P・ラヴクラフト作「ダニッチの怪(The Dunwich Horror)」は、1928年に執筆され、翌1929年に発表された中編小説であり、「クトゥルー神話」の中核に属する作品である。

ニューイングランドの田舎町ダニッチを舞台に、魔術と禁断の交配、そして宇宙的存在ヨグ=ソトースの顕現を描いた本作は、ラヴクラフトの中でも特に読者人気の高い一編であり、明確な善悪構造と決戦が描かれる点で特異な存在である。

創元推理文庫の『ラヴクラフト全集5』に収録されている。

注意

読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。

書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。

物語の概要

『ダニッチの怪(The Dunwich Horror)』
『ダニッチの怪(The Dunwich Horror)』

物語は、マサチューセッツ州の架空の田舎町ダニッチで起きた一連の怪事件と、住民たちに恐れられるウェイトリー家を中心に展開される。

1893年、異様な風貌のアルビノの子ウィルバー・ウェイトリーが誕生する。

彼の母は痴呆気味の女性ラヴィニア・ウェイトリーであり、父親は不明とされていた。

ウィルバーは異常な早さで成長し、8歳で成人並の体格を持つ。

彼は祖父のヨーグ・ウェイトリーと共にオカルト文献を集め、とりわけ「ネクロノミコン」に記された儀式を研究していた。

やがてヨーグ老が死亡し、ウィルバーはさらなる秘儀の実現のためにアーカムのミスカトニック大学の蔵書にある「ネクロノミコン」を求めて訪れるが、大学の警備犬に惨殺されてしまう。

この時、彼の死体から人間とは思えぬ身体的特徴が発見される、それは人間と「ヨグ=ソトース」の間に生まれた混血児であり、兄弟の存在も暗示される。

一方、ダニッチの町では正体不明の巨大な怪物が姿を見せずに家畜を殺戮し、地形を踏み荒らし、住民を恐怖に陥れていた。

最終的にミスカトニック大学のアーミティッジ博士らの奮闘によって、姿を見せぬ怪物は消滅し、正体が明らかとなる。

それはウィルバーの双子の兄であり、肉体を持たぬままに成長した「ヨグ=ソトースの子」であった。

登場人物

ウィルバー・ウェイトリー(Wilbur Whateley)

本作の中心人物の一人で異様な外見と急速な成長、そしてオカルトに対する異常な執着を持つ存在である。

彼は人間の母と宇宙的存在ヨグ=ソトースの間に生まれた混血児であり、兄弟の復活・顕現のために禁忌の儀式を行っていたが、志半ばで死を迎える。

ヨーグ・ウェイトリー(Old Whateley)

ウィルバーの祖父であり、ダニッチ村に古くから伝わる魔術師。

孫を通して異界の存在をこの世に顕現させようとし、「ネクロノミコン」などの禁断の書を駆使して儀式を主導する。

死後も、彼の仕掛けた魔術は影響を及ぼし続ける。

ラヴィニア・ウェイトリー(Lavinia Whateley)

ウィルバーの母で、知的障害をもつ哀れな女性。

不可解な儀式の果てにヨグ=ソトースとの交配により二子を生むが、物語の途中で失踪・死亡する。

彼女の役割は儀式の容器に過ぎなかった。

ヘンリー・アーミティッジ博士(Dr. Henry Armitage)

ミスカトニック大学の図書館長であり、知識と正義の象徴として描かれる。

ウィルバーの不審な行動を察知し、後に召喚された怪物に対して決定的な対抗措置を講じる。

ラヴクラフト作品では稀な「英雄」的存在である。

地名・象徴・モチーフ

ダニッチ(Dunwich)

物語の舞台となる架空の田舎町。

閉鎖的で退廃的な空気が漂い、奇形や近親交配、迷信などが蔓延する土地である。

異界と現実の境界が曖昧な「結界の緩い場所」として描かれ、宇宙的存在の干渉を許してしまう。

ヨグ=ソトース(Yog-Sothoth)

クトゥルー神話の中でも特に重要な存在であり、空間と時間を超越する「全ての門にして鍵」である。

本作では「外なる神」である彼が、物質世界に子をなすという形で顕現しようとする。

ネクロノミコン(Necronomicon)

禁断の書物であり、本作ではウィルバーとアーミティッジ博士の両方がその知識を利用する。

古代から続く宇宙的存在と儀式の記述がなされており、クトゥルー神話世界における知の源泉と破滅の導き手を兼ねる。

考察

「ダニッチの怪」は、クトゥルー神話の中でも異質な作品である。

なぜなら、本作には明確な「善悪」の対立が存在し、人間側が超自然的脅威に打ち勝つという構図が描かれているからである。

アーミティッジ博士は英雄的存在であり、物語の結末には一種のカタルシスがある。

しかしその一方で、物語に描かれるのは「人間ではないものが人間の姿を借りて生まれ、世界を侵蝕する」という恐怖であり、ヨグ=ソトースの子らは人間の理解を超えた存在である。

彼らの出現は偶然ではなく、魔術と血統による必然であり、宇宙における人間の脆弱さと無力さを暗示する。

ウィルバーとその兄弟は、「異界と現実の結合」の象徴であり、ラヴクラフトが一貫して描く「人間が知ってはならない知識」の具現でもある。

本作は、田舎的な退廃、禁断の儀式、魔術の実在性、そして宇宙的恐怖が融合した、極めて典型的かつ完成されたラヴクラフト作品である。

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