『ウルタールの猫(The Cats of Ulthar)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

『ウルタールの猫(The Cats of Ulthar)』は、H・P・ラヴクラフトが1920年に発表した幻想的短編であり、寓話的構造をもっており、復讐と正義、そして神秘的な力による裁きというテーマを描いている。
本作は、ラヴクラフトが愛した猫への深い共感と、ダンセイニ風の神話的世界観を融合させた作品である。
創元推理文庫の『ラヴクラフト全集6』に収録されている。
注意
読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。
書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。
物語の概要

舞台はスカイ河の彼方にあるウルタールという幻想の村である。
そこでは、かつて一組の老いた小作人の夫婦が住んでおり、近隣の猫を罠にかけて殺すことを楽しんでいた。
彼らは村人たちに恐れられており、直接非難されることはなかったが、誰もが彼らを忌み嫌っていた。
ある日、黒髪の放浪者たちのキャラヴァンが村を訪れ、その中にメネスという少年がいた。
メネスは黒い仔猫を可愛がっていたが、その仔猫が例の老夫婦の屋敷の近くで忽然と姿を消してしまう。
涙に暮れるメネスは、やがて太陽に向かって両腕を掲げ、理解不能な言葉で祈りを捧げる。
その祈りに応じるかのように、空に異様な雲が現れ、神秘的な気配が漂う。
その夜、村中の猫がすべて姿を消す。
そして翌朝、村人たちは猫が一匹残らず戻ってきたことに気づく。
すべての猫が満ち足りた様子で、毛並みは艶やか、喉を鳴らしているが、しばらくは食事に口をつけようとしなかった。
やがて、老夫婦の屋敷には灯りが灯らず、様子がおかしいことに村人たちは気づく。
市長クラノンと、鍛冶屋のシャン、石工のトゥルが屋敷を訪れると、中にはきれいさっぱり肉を失った人間の骸骨が二体、そして甲虫が這いまわっていた。
老夫婦は何らかの超自然的手段によって猫たちに裁かれたのである。
この事件を経て、ウルタールでは「猫を殺してはならない」という法が制定された。
これは後に多くの土地で語り草となり、ラヴクラフトの架空神話体系の中でも特筆される法律である。
登場人物
メネス
黒髪の放浪者キャラヴァンに属する少年。
両親を疫病で失い、黒い仔猫を唯一の慰めとしていた。
祈りを通じて神秘的な力を呼び起こし、老夫婦に天罰をもたらす。
老いた小作人とその女房
猫を殺すことに喜びを覚えていた邪悪な夫婦。
最終的に猫たちにより報復を受け、肉の失われた骸骨となって発見される。
村人たち
ウルタールの住民。
老夫婦を恐れていたが、彼らが裁かれたことで安堵し、猫を守る法律を制定するに至る。
アタル
宿屋の主人の幼い息子。
猫たちが儀式めいた行動を取るのを目撃した唯一の証人となる。
のちのラヴクラフト作品にも登場する重要人物である。
地名
ウルタール
幻想的な村で、スカイ河の彼方に位置する。
ラヴクラフトの夢幻風景の中でたびたび登場し、「猫を殺してはならない」という律法の地として記憶される。
スカイ河(Skai River)
ウルタールの近隣を流れる神秘的な河で、しばしば他の夢境の地と結びつく地理的要素となる。
解説
この物語は、道徳的寓話として機能している。
老夫婦による猫への暴力は、無垢な存在への不当な虐待として描かれ、メネスの祈りによって、宇宙的な正義が発動する。
ラヴクラフトはしばしば「人知を超えた力」による裁きや秩序の存在を描いたが、本作ではそれが幼い少年の祈りを通じて示される。
また、ラヴクラフトは猫を深く愛しており、本作には猫への慈しみと崇敬の念が込められている。
ラヴクラフト的宇宙観における恐怖とは異なり、この物語には希望と正義が存在し、それが静かに、しかし確実に成就する。
「ウルタールの猫」は短いながらも、幻想文学における珠玉の一篇であり、ダンセイニ的神話風景とラヴクラフト独自の道徳感が融合した作品である。