『ピックマンのモデル(Pickman’s Model)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

ラヴクラフト全集 4 | H・P・ラヴクラフト, 大瀧 啓裕 | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

『ピックマンのモデル(Pickman’s Model)』は、H・P・ラヴクラフトが1926年に執筆した短編小説であり、芸術、狂気、そして人間と異形の境界の曖昧さを主題とする傑作である。

語り手の一人称による回想形式で展開され、読者は恐怖の核心にゆっくりと導かれていく。

創元推理文庫の『ラヴクラフト全集4』に収録されている。

注意

読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。

書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。

物語の概要

『ピックマンのモデル(Pickman’s Model)』
『ピックマンのモデル(Pickman’s Model)』

物語は語り手が友人エリオットに向けて、なぜ自分がある画家と絶交したのかを語る形で始まる。

問題の画家とはリチャード・アプトン・ピックマン。

彼はボストンの怪奇画家として知られ、驚異的なリアリズムと恐るべきテーマで知られていた。

だが、あまりの過激さから美術界からは疎まれていた。

語り手はピックマンに招かれ、ボストンのノース・エンドにある古い家の地下室のアトリエを訪れる。

そこには地獄絵図のような、想像を絶する恐怖の作品群が並んでいた。

写実性の高さ、異様な構図、そして“あまりにもリアルな顔”の描写に、語り手は深い衝撃を受ける。

やがて語り手は一枚の写真を見つけ、それが単なる背景資料ではなく、ピックマンの描く「化け物」のモデルの実物写真であることに気づく。

このとき初めて、ピックマンの恐るべき絵は「想像」ではなく、「現実の再現」であったことが明かされるのである。

語り手はピックマンの正体と真の恐怖を悟り、絶交を決意する​。

登場人物

語り手(主人公)

美術に通じた人物で、ピックマンの友人だった。

語り手は比較的常識的な感性を持つが、徐々に狂気の世界に接近していく。

最終的にはピックマンの「モデル」の正体に気づき、深いトラウマを抱えることになる。

リチャード・アプトン・ピックマン

天才的な才能を持つ怪奇画家で、極端な写実と異形のモチーフに取り憑かれている。

ピックマンは恐怖を「本物」から得るため、異形の存在と実際に接触していた可能性が高い。

セイレムの魔女の子孫とされる。

モデル(食屍鬼)

ピックマンが絵の資料として使用していた実在の化け物。

人間と犬の中間のような外見を持ち、地下の古井戸やトンネルを通ってボストンの地下に潜む。

地名・設定

ボストンのノース・エンド

作品の舞台で歴史的建造物が多く、古い家屋が密集している。

ピックマンはこの地区に「地下アトリエ」を構えていた。

地下室のアトリエ

ピックマンの創作の中心。

ここには写真機、恐怖の絵画群、そして異形のモデルが存在した。

煉瓦積みの井戸やトンネルがあり、何かが「出入りしている」暗示がある​。

セイレム

ピックマンの出自と関連する魔女裁判の舞台。

ピックマンの先祖は魔女として絞首刑にされており、家系に「呪われた血」が流れているとされる​。

解説

本作は、「想像上の恐怖」と「現実に存在する恐怖」の境界を崩壊させることで、読者に根源的な戦慄を与える。

ピックマンの芸術は単なる表現ではなく、目にしたものの再現であり、そのリアリズムは「実在する化け物」を背景とするものだった。

「写真」によるどんでん返しは、近代性と科学の象徴を逆手にとった仕掛けであり、「芸術の真実性」と「人間の知覚の限界」を問う重要なモチーフでもある。

また、ピックマンの語る「ノース・エンド」の地下の広大な闇、トンネル、井戸などの描写は、ラヴクラフト的な地理的・歴史的恐怖の象徴として機能している。

最後に語り手が「地下室に降りられなくなった」「地下鉄も乗れない」と語る場面において、物語の恐怖が現実の感覚にまで浸食していることが明示される。

本作は視覚と精神の恐怖を交錯させる点で、ラヴクラフトの初期作品のなかでも非常に完成度の高い一編である。

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