『彼方より(From Beyond)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

『彼方より(From Beyond)』は、H・P・ラヴクラフトが1920年に執筆した短編小説である。
狂気に満ちた科学者の危険な実験と、目に見えぬ異次元の実体との接触を描き、ラヴクラフト作品のなかでも特にマッド・サイエンティストと異界の恐怖を結びつけた代表作といえる。
創元推理文庫の『ラヴクラフト全集4』に収録されている。
注意
読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。
書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。
物語の概要

語り手は、親友であり科学者でもあるクロフォード・ティリンギャーストからの突然の手紙を受け取り、彼の屋敷を訪れる。
かつてティリンギャーストが進めていた「形而下および形而上的調査」はあまりに異常であり、語り手は以前それを諫めたが、そのときティリンギャーストは激昂して彼を追い出していた。
屋敷で再会したティリンギャーストは、肉体的にも精神的にもすっかり変わり果てていた。
彼は人間の感覚器官が知覚する世界はごく狭いものであり、特定の波長や振動に共鳴することで、この世の「彼方」に存在する実体を視認できるようになると主張する。
ティリンギャーストはこの理論を証明するための機械を完成させており、語り手にそれを試させる。
やがて機械が起動すると、語り手の視界にはこの世のものとは思えない「のたうつ異形の生物たち」が出現し、異様な存在感に満ちた空間が広がる。
ティリンギャーストは、自らはこの実体を召喚し、制御していると豪語するが、次第に精神の限界を超えて狂気に堕ちていく。
語り手が感じた不安は的中し、ティリンギャーストは「見えざる存在」に取り込まれたような最期を遂げる。
最終的に屋敷は崩壊し、ティリンギャーストの機械も破壊される。
登場人物
語り手(主人公)
ティリンギャーストの旧友。
常識的で理性的な人物だが、異界の恐怖を目の当たりにすることで精神的なショックを受ける。
クロフォード・ティリンギャースト
科学者にして実験狂。
人間の知覚を超えた次元を感知する機械を作り上げ、自らの実験に取り憑かれる。
最期にはその実験の帰結として滅びる。
召使たち
ティリンギャーストの屋敷にいたが、実験によって不可解な失踪や死を遂げている。
何が彼らを襲ったのかは、作品中で読者の想像に委ねられている。
地名・設定
ティリンギャーストの屋敷
物語の主な舞台で薄暗く重苦しい屋敷の屋根裏に研究室があり、実験装置が置かれている。
科学と魔術の境界を越える異界の門のような空間である。
実験装置
人間の松果腺を刺激し、通常の五感を越えた感覚で「彼方」の実体を感知させる。
これはラヴクラフトが後年にも扱う「感覚の拡張」「異界との接触」のテーマの萌芽を示している。
解説
本作は「彼方(Beyond)」というタイトルが示すとおり、我々が知覚できる範囲の外にある、異次元的な実在の存在を核心とする。
物理学と形而上学を結びつけるという発想は、初期のラヴクラフト作品にしばしば見られるが、本作はそのなかでも特に「人間が知ってはならない真理」に近づいてしまった結果としての恐怖を強く描いている。
また、ティリンギャーストという人物は「マッドサイエンティスト」の典型例であり、彼の発明した機械は「扉を開ける装置」としてクトゥルフ神話の諸作品とも共通する機能を果たす。
後年の作品『戸口にあらわれたもの』や『異次元の色彩』に通じるテーマである。
短くも濃密な作品であり、視覚的な恐怖と心理的な緊張感が巧みに結びついた佳作であるといえる。