『狂気の山脈にて(At the Mountains of Madness)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

『狂気の山脈にて(At the Mountains of Madness)』は、H・P・ラヴクラフトが1931年に執筆し、1936年に発表した長編小説である。
クトゥルフ神話の核心に関わる作品であり、ラヴクラフト的宇宙観、すなわち「人間の無力さ」「知ってはならない真実」の結晶といえる。
創元推理文庫の『ラヴクラフト全集4』に収録されている。
目次
注意
読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。
書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。
物語の概要

本作は、ミスカトニック大学が主催した南極探検隊の報告として描かれる。
語り手である地質学教授ウィリアム・ダイアーは、次の大規模な探検(スタークウェザー=ムーア探検隊)を阻止すべく、自身の体験を記録として明かすことに決める。
探検隊は南極大陸において、未知の高山地帯を発見する。
その山脈はヒマラヤを遥かに凌駕する高さを誇り、山頂には人工的な構造物(立方体や壁面)の痕跡が認められた。
やがて隊の一部はレイク教授の主導で別行動を取り、奇怪な石や未知の生命体の化石を発見する。
それらは五芒星型の頭部を持つ「古のもの(エルダー・シング)」であった。
その後、レイク隊の通信が途絶え、本隊が救援に向かうと、犬や隊員が死体となって発見される。
さらに調査の結果、地下に広がる古代都市が発見され、かつて地球に降り立った「旧支配者たち」が築いた文明の痕跡がそこに存在していたと判明する。
最終的に語り手と副隊員のダンフォースは、都市の奥深くで「ショゴス」と呼ばれる、旧支配者の創造物である変幻自在の生物に遭遇する。
ふたりは命からがら逃げのびるが、ダンフォースは最後に「菫色の山脈の向こうに、旧支配者すら恐れた何かを見た」として精神の均衡を崩す。
ダイアーは、かつて発見されたことのないその「彼方」の存在が、探検隊によって再び目覚めさせられることを恐れ、真実を明かすに至る。
登場人物
ウィリアム・ダイアー
語り手にしてミスカトニック大学の地質学教授。
南極探検隊の科学顧問として参加。人類の安全のため、沈黙を破る決意をする。
ダンフォース
学生でありながら優秀な飛行士。
ダイアーとともに都市を探索し、恐るべき「何か」を見たために精神に深い傷を負う。
レイク教授
古生物学者で探検隊の一部を率い、先行して「古のもの」の化石を発見。
その後、謎の惨劇に見舞われる。
ショゴス(Shoggoth)
旧支配者によって作られた無定形の生物。
知性と模倣能力を持ち、反乱を起こして創造主を滅ぼした可能性がある。
旧支配者(The Elder Things)
宇宙から飛来した先史時代の知的生命体。
地球の原初の生命を創造し、自らの文明を築いたが、他の異形の存在との戦いで没落。
地名・設定
南極大陸
物語の舞台で、従来の知識を超えた超古代文明が氷の下に眠っていたとされる。
特に「狂気の山脈」やその奥に広がる都市が中心。
狂気の山脈(Mountains of Madness)
標高5万フィートを超える山脈で、人工的な構造物や、未知のトンネル網を含む。
死の都市(The Dead City)
旧支配者によって建設された巨大都市。
壁画や彫刻には彼らの歴史や地球外起源が記録されている。
ナコト写本・ネクロノミコン
禁断の知識が記された書物。
旧支配者やショゴス、カダスなどについての記述がある。
解説
本作は、ラヴクラフトが構築した宇宙的恐怖(Cosmic Horror)の集大成である。
旧支配者、ショゴス、未知の山脈、そして「さらにその彼方にある名状しがたいもの」まで、人類を超越した存在が多数登場する。
特に彫刻や壁画を通して描かれる旧支配者の文明は、歴史の書き換えを迫る壮大なヴィジョンである。
また、本作の語りは科学者の視点に終始し、極力「合理的な恐怖」として構築されている点も特徴である。
描写は詳細かつ冷静であるが、その冷静さの裏にある「知ってしまったがゆえの絶望」が、強烈な余韻をもたらす。
ショゴスや旧支配者といった異形の存在だけでなく、「それすら恐れた」さらなる何かが存在するという暗示は、クトゥルフ神話のスケールを無限に広げる要素となっており、読者にとってまさに「知ってはならない真実」を突きつける。