『夢書簡』(H.P.ラヴクラフト著)の解説


ラヴクラフト全集 7 | H・P・ラヴクラフト, 大瀧 啓裕 | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

『夢書簡』は、H.P.ラヴクラフトが複数の知人に宛てた私信の中で語った夢の内容をまとめた作品群であり、いわば夢日記の体裁を取った幻想的かつ怪奇的な物語である。

通常の短編とは異なり、明確な筋や結末を持つ物語ではないが、ラヴクラフトの創造した神話体系、いわゆるクトゥルフ神話の根幹を成す要素やモチーフが散見される。

そのため、これらの書簡は創作の原初的なスケッチとも、精神世界の旅とも読める特異な資料である。

創元推理文庫の『ラヴクラフト全集7』に収録されている。

注意

読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。

書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。

物語の主な内容と構成

『夢書簡』
『夢書簡』

本作は、1919年から1933年の間にラヴクラフトが書いた複数の夢を、それぞれの宛先の書簡形式で綴ったものであり、夢のなかで彼は時に現代の人物、時に古代ローマの貴族、時に中世の異端者、あるいは幻想的な都市の住人として登場する。

それぞれの夢は一見して無関係に見えるが、「ナイアルラトホテップ」や「大いなる名状しがたきもの」など共通の存在が現れ、徐々に彼の夢の世界が一つの神話的宇宙を形成していることが明らかになる。

登場人物

H.P.ラヴクラフト(夢の語り手)

大半の夢は彼自身を一人称とするが、夢の中では名前や身分が変化し、時に古代ローマのクアエストル「ルーキウス・カエリウス・ルーフス」や旅行者、あるいは僧服を着た謎の人物など、多様な存在として描かれる。

サミュエル・ラヴマン

実在の人物フランク・ベルナップ・ロングがモデルとされる。

夢の中では超常的な知識を持ち、特異な装置と通信機器を駆使して地下の世界と接触を図る。

ときに死に、あるいは死後に異形の存在となって語りかける。

ナイアルラトホテップ

ラヴクラフトの創造した外なる神であり、夢の中では弁舌巧みな見世物師、講演家、あるいは幻影の案内人として現れる。

夢見た者に深い恐怖と魅了を与え、心に消えない痕跡を残す。

プーブリウス・スクリーボーニオス・リーボー

ローマ属州ヒスパニア・タラコネンシスの総督であり、毅然とした人物。

黒きものどもの儀式に対して軍事的対応を決断し、最終的には恐怖の只中でただ一人平静を保つ姿が描かれる。

バルブーティウス

軍の副司令官で、黒きものどもの問題に対して当初は懐疑的であったが、事態の進展により恐怖に屈し、発狂に至る。

ミリ=ニグリ(黒きものども)

ピレネー山脈の高地に住む、異形の種族。ラテン語でもギリシア語でも記録されぬ言葉を話し、年に二度、恐るべき魔宴を行う。

人間を生贄に捧げ、「大いなる名状しがたきもの(マグナム・インノーミナンドゥム)」を召喚しようとする。

地名

プロヴィデンス(Providence)

ラヴクラフトの現実の故郷。

夢の中では神秘的な事件が繰り広げられる町として登場し、ナイアルラトホテップの到来や未知の落下物が街を襲う恐怖の舞台ともなる。

ポムペロ(Pompero)

ピレネー山脈の麓にある町。

黒きものどもの魔宴の影響を受ける現地民が怯える場所として描かれ、ローマ軍が派遣されるが、不可視の災厄によって軍は壊滅する。

カラグッリス(Calagurris)

ローマ軍の駐屯地。

属州総督や軍団が所在し、黒きものどもとの対決のための出発点となる。

ピレネー山脈

黒きものどもが住まう魔境としてたびたび登場する。

神秘と恐怖の源泉であり、クトゥルフ神話における地理的に重要な聖地ともなっている。

夢の地下墓地・霊廟・屋根裏部屋など

繰り返し夢に現れる象徴的な場所。

現実世界と異界の境界にあたる場所であり、神話的存在と人間が接触する場として機能する。

解説

『夢書簡』はラヴクラフトにおける夢の体験がいかに彼の神話世界の源泉となっているかを如実に示しており、単なる幻想譚ではなく、創作と夢、現実と非現実が交差する神秘的な記録である。

作品中の人物や場所、神々の描写は、のちのクトゥルフ神話作品群において繰り返し用いられることになる重要な原型といえる。

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