『霧の高みの不思議な家(The Strange High House in the Mist)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

ラヴクラフト全集 7 | H・P・ラヴクラフト, 大瀧 啓裕 | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

『霧の高みの不思議な家(The Strange High House in the Mist)』は、H・P・ラヴクラフトが1926年に執筆し、翌1927年に発表された幻想小説であり、夢と現実、神秘と到達不能性、超越的存在への接触といったラヴクラフト的主題が、詩的かつ静謐な筆致で描かれた作品である。

本作は「夢の国サイクル」に属する一編とされ、現実世界の地名を用いながらも、明確に幻想世界の風合いを持つ。

創元推理文庫の『ラヴクラフト全集7』に収録されている。

注意

読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。

書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。

物語の概要

『霧の高みの不思議な家(The Strange High House in the Mist)』
『霧の高みの不思議な家(The Strange High House in the Mist)』

物語の舞台は、マサチューセッツ州の架空の港町キングスポート(Kingsport)である。

この町の海沿いには、険しい断崖絶壁の上に霧に包まれた不思議な家が建っており、町の住民たちは古くからこの家の存在を知ってはいたが、そこに誰が住んでいるのか、あるいは本当に人が住んでいるのかすら知らなかった。

なぜならば、その場所へはどの道からもたどり着けず、陸からの接近は不可能と思われていたからである。

ある時、哲学的傾向を持つ男トマス・オルニー(Thomas Olney)がキングスポートを訪れる。

彼は大学で哲学を教える知識人であり、神秘的なものに魅了される性格であった。

彼は町の人々からこの家の話を聞き、それに強く惹かれて、何としてもその家を訪れたいという願望に取り憑かれる。

オルニーは、断崖をよじ登るという危険な手段を選び、命がけの冒険の末に、ついにその高みにある不思議な家へとたどり着く。

霧に包まれた家の中で彼は、この世ならざる存在との対話を体験する。

その詳細は明かされないが、家の主と思しき存在は時を超えて世界を見渡す者、あるいは神格に近い者であり、彼との接触によってオルニーは人間の時間と存在の枠を越えた知識や感覚を得る。

しかし、それは一種の変容であり、彼が完全に元の世界へ戻ってきたわけではない。

やがてオルニーは町へ帰るが、彼の精神はどこか別の次元に属してしまっており、かつての彼ではなくなっていたと人々は語るようになる。

登場人物

トマス・オルニー(Thomas Olney)

哲学者であり、探求心と想像力に富んだ人物。

現実の限界を超えて未知の神秘に到達することを夢見る。

彼の旅は象徴的な「精神の昇華」とも、「禁忌の知への接触」とも取れる。

霧の高みの家の主(名はなし)

本作における核心的存在。

明確な正体や姿は描かれないが、時空を超越した存在であり、神格や夢の支配者的役割を持つと解釈されることが多い。

彼は穏やかにオルニーを迎え入れ、何かを「教える」ことで変容を与える。

キングスポートの住民たち

家の存在は知っているが、誰一人として近づこうとはせず、恐れと敬意をもって語る。

彼らは「見てはならぬもの」を暗黙のうちに知っており、それを避けることで世界の秩序を保っている。

地名

キングスポート(Kingsport)

ラヴクラフト作品によく登場する港町で、古めかしい建築や霧、海の気配に満ちた静謐な場所。時間の流れが滞っているかのような感覚をもたらす幻想の地である。

霧の高みの不思議な家(The Strange High House in the Mist)

断崖の絶頂に立つ、到達不可能な神秘の館。

人智の届かぬ場所、精神的高み、異次元との接点を象徴しており、オルニーの旅そのものが「精神の登山」であるとも読める。

霧(Mist)

現実と非現実、此岸と彼岸を隔てる象徴的存在。

ラヴクラフトにおいては、「見えないものの予兆」「存在の揺らぎ」のイメージで繰り返し用いられる。

解説

『霧の高みの不思議な家』は、クトゥルフ神話のような明確な神名や恐怖描写こそないものの、「知ってはならぬ知」「接触すべきでない存在」という主題が柔らかく、詩的に表現された作品である。

恐怖よりもむしろ、神秘への憧れと、その代償としての人間性の喪失が描かれている。

また、オルニーの行動は、現代の合理主義から逸脱し、夢と神話の世界へ回帰しようとするラヴクラフト自身の心情を反映しているとされる。

家に住む存在は、人類史以前の真理を知る者であり、それに触れた者は、現実世界の論理や時間からはずれてしまう。

このように、本作は「登る」という行為を通じて、人間の精神がどこまで届くのか、そしてどこで崩壊するのかというテーマを寓意的に描いている。

ラヴクラフトにおける「恐怖の源泉」が、常に知識と対価の交換という形を取っていることを示す、幻想的かつ哲学的な傑作である。

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