『忌み嫌われる家(The Shunned House)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

ラヴクラフト全集 7 | H・P・ラヴクラフト, 大瀧 啓裕 | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

『忌み嫌われる家(The Shunned House)』は、H・P・ラヴクラフトが1924年に執筆し、1937年に死後出版された怪奇短編小説である。

幽霊屋敷の伝統的主題とクトゥルフ神話的な異形の恐怖を融合させた。

実在の建物をモデルとしつつ、科学的好奇心と遺伝、時間の層を横断する存在を扱うことで、ラヴクラフトの恐怖観の転換点を示す中編的作品である。

創元推理文庫の『ラヴクラフト全集7』に収録されている。

注意

読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。

書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。

物語の概要

『忌み嫌われる家(The Shunned House)』
『忌み嫌われる家(The Shunned House)』

物語の舞台は、ロードアイランド州プロヴィデンスのベネフィット・ストリートにある17世紀の古屋敷である。

この家は不吉な過去と奇怪な事件に満ちており、地元では長らく「忌み嫌われる家」として知られていた。

語り手である無名の人物は、幼い頃からこの家に興味を抱き、やがて叔父であるイライフ・ホイットマン博士(Dr. Elihu Whipple)とともに調査を開始する。

この家では、何世代にもわたり不自然な死、病、精神異常、あるいは「吸い取られるように衰弱していく」といった現象が続いていた。

住人は必ず何らかの形で破滅し、特に地下室に異様な雰囲気が漂っているとされる。

語り手とホイットマン博士は、科学機器と準備を整えて家に入り、地下室にて現象の調査を試みる。

彼らは複数回にわたって観測と待機を繰り返し、ついにはある夜、床下から湧き上がる忌まわしき発光体を目撃する。

ホイットマン博士はこの存在と接触し、正体不明のエネルギーに生命力を吸い取られて死亡する。

その後、語り手は独力で家の歴史を徹底的に調査し、原因の正体に迫る。

それは、18世紀の初頭にこの家に住んでいたフランス人移民エティエンヌ・ルグラン(Etienne Roulet)とその子孫の一人、ポール・ルグラン(Paul Roulet)の存在に行き着く。

彼らはアルケミーや黒魔術に通じており、ポールは不死性の追求の末に、死を逃れ、人間の精気を吸収して存続する存在へと変貌していたと示唆される。

語り手は再び地下室に赴き、爆薬を用いて床下の地盤を破壊し、地下の異形の遺体とその源泉を物理的に破壊する。

それ以降、家の不吉な現象は収まり、物語は、語り手が「恐怖とは、人知を超えた何かに触れたときに生じる合理的な反応である」と結論づけるところで終わる。

登場人物

語り手(Narrator)

名前が分からないプロヴィデンス出身の教養ある人物で、好奇心と理性的探究心を持つ。

物語全体の調査者・目撃者・最終的な解決者となる。

イライフ・ホイットマン博士(Dr. Elihu Whipple)

語り手の叔父であり、医師・博物学者。

忌まわしき屋敷の科学的調査に取り組むが、謎の存在に命を奪われる。

エティエンヌ・ルグラン(Etienne Roulet)

フランスからの移民であり、17世紀後半に屋敷の建設に関与。

宗教的にも倫理的にも異端視されていた。

ポール・ルグラン(Paul Roulet)

エティエンヌの子孫で地下で死を超越した状態で存続していたと推測される存在。

人間の精気を吸い取り、死と生の狭間にある異形と化していた。

地名

プロヴィデンス、ベネフィット・ストリート

ラヴクラフトが実際に住んでいた都市であり、本作では恐怖の中心舞台として描かれる。街そのものが歴史と怪異の記憶を孕む象徴となる。

忌み嫌われる家(The Shunned House)

表向きは平凡な植民地時代の家屋だが、地下には恐るべき存在が封じられており、物理的空間と霊的・生物学的腐敗の焦点と化している。

地下室

クトゥルフ神話における「地下への恐怖」の代表的モチーフ。そこには人間の理性が及ばぬ時空の歪みや、古代の生命形態が潜む場としての役割がある。

解説

『忌み嫌われる家』は、伝統的な幽霊屋敷譚の形式をとりながらも、その原因を霊的存在ではなく、未知の自然的・科学的存在に求めるという、ラヴクラフト独自の方向性を明確にした作品である。

これはのちの『チャールズ・デクスター・ウォードの奇怪な事件』や『狂気の山脈にて』への重要な布石となる。

また、本作では「遺伝」「土地に染み込んだ記憶」「肉体の変質」「精気吸収による擬似的不死性」といったテーマが複合的に展開されており、近代的科学観と超自然的恐怖のあわいで物語が進行する。

語り手の態度も単なる恐怖や逃避ではなく、理性的に解明し、対処しようとする姿勢が特徴的である。

さらに注目すべきは、恐怖の中心が地下に眠る生きた屍であるという点である。

これはクトゥルフ神話における「死してなお夢見る存在(たとえばクトゥルフ自身)」というテーマの変奏であり、人智を超えた「旧き存在」への予兆を感じさせる。

総じて『忌み嫌われる家』は、恐怖の源泉を幽霊や怨霊から、科学的に解明し得ぬ生物的現象・異形の存在へと拡張する試みであり、古典怪奇小説からコズミック・ホラーへの移行点に位置する重要作である。

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