『緑の草原(The Green Meadow)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

ラヴクラフト全集 7 | H・P・ラヴクラフト, 大瀧 啓裕 | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

『緑の草原(The Green Meadow)』は、H・P・ラヴクラフトがウィニフレッド・V・ジャクスン(Winifred V. Jackson)との共作として執筆した幻想短編であり、夢と宇宙的恐怖の要素を融合させた初期の作品である。

物語の形式は「発見された文書」による構成で、語り手は不可思議な出来事を手記の形で記録している。

ラヴクラフト特有の宇宙的孤独感、異世界転移、夢の領域の探求が顕著であり、「夢の国(Dreamlands)」の原初的モチーフを感じさせる内容である。

創元推理文庫の『ラヴクラフト全集7』に収録されている。

注意

読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。

書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。

物語の概要

『緑の草原(The Green Meadow)』
『緑の草原(The Green Meadow)』

物語は、マサチューセッツ州の南海岸、ある入り江の砂浜に漂着した奇妙な金属製の箱から始まる。

この箱は密閉されていたが、特殊な工具を用いて開封された。

内部には、古代ギリシャ語で記されたノートが収められており、その内容が物語の中心となる。

ノートは、無名の語り手の一人称手記であり、彼は自らが「どのようにしてそこへ来たのかは思い出せない」と語る。

彼は気がつくと、どこまでも広がる緑の草原に一人でいた。

その草原には風も音もなく、何か言い知れぬ不安と寂寥が漂っていた。

彼はその草原をさまよい、いくつかの不可解な建造物や地形を発見するが、何者にも出会わず、ただ異様な光景に包まれていく。

やがて語り手は、草原の果てに黒い断崖と、それに面した黒々とした海を見出す。

その海は現実とは異なる物質で構成されており、物理法則が通用しないような印象を与える。

そして草原と海との境界に立つうちに、語り手の精神は極限状態に達し、やがて彼の記憶も曖昧になる。

彼は、自身がこの世界に至る前の出来事を断片的に思い出す。

それは別の天体、おそらく地球ではない星の過去の文明で、未知の力を用いた実験の結果として、この夢とも現実ともつかぬ世界に「落とされた」可能性をほのめかしている。

最終的に手記は断片的となり、語り手が再び何かに飲み込まれるようにして、意識と存在を失っていく様子で終わる。

読者はこのノートがどのようにして海を越えてマサチューセッツまで到達したのかを知る術もない。

登場人物

語り手(手記の筆者)

名前は明かされないが、異世界に投げ出された存在。

知的かつ哲学的な思索を行う人物で、終始、冷静に状況を記述しながらも、次第に狂気と孤独に呑まれていく。

語り手の記憶にある科学者たち(名はなし)

過去の文明において語り手とともに「次元を超える実験」を行った者たちの存在が仄めかされる。

彼らもまたこの破滅の責任を分かち合っている。

発見者たち

現代の科学者たちで、箱とノートを発見した人物たち。

語り手の実在を証明する唯一の手がかりとなるが、作中では名前も詳細も語られない。

地名

緑の草原(The Green Meadow)

物語の中心舞台であり、現実世界とは異なる異空間に位置する。

生命の気配も動きもないが、視覚的には美しい。

そこには時間や因果が存在しないような、永遠の停止した時空が広がっている。

黒い海と断崖

草原の果てにある境界領域。

ここでは物理法則が無効となり、語り手は「宇宙的恐怖」の感覚に襲われる。

ラヴクラフト的な「宇宙の裂け目」の表現であり、クトゥルフ神話的異界への接点である。

金属の箱

現実世界との唯一の接点。

ノートの運搬装置であり、夢と現実のあいだを橋渡しするオーパーツ(場違いな遺物)の象徴でもある。

解説

『緑の草原』は、明確なプロットよりも雰囲気と心理的印象に重点を置いた作品であり、夢幻小説とコズミック・ホラーの交錯点に位置する。

作品の根幹には、「自己の喪失」「次元間移動」「孤独と狂気」というラヴクラフト的モチーフが通底している。

この草原は、見た目には穏やかで牧歌的でありながら、完全な沈黙と静止が恐怖をもたらすという、逆説的な美学に貫かれている。

読者は語り手と同じく、言語化できない不安と不気味さに取り巻かれながら、彼の破滅を追体験することになる。

また、宇宙的規模での時間と空間の無意味さを描くことで、人間の存在のはかなさと、科学の傲慢さに対する警鐘も本作に読み取れる。

いわば本作は「詩的な黙示録」とも言うべき構成をとっており、クトゥルフ神話の核心的概念「知るべきではない真実」に通じる世界観の原型がここにある。

共同執筆でありながら、文章の多くはラヴクラフトによるものであり、その幻想的な筆致と緩やかに沈んでゆく恐怖の描写は、後の『白い帆船』『未知なるカダスを夢に求めて』などへの布石として評価されるべきものである。

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