『闇に囁くもの(The Whisperer in Darkness)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

『闇に囁くもの(The Whisperer in Darkness)』は、1927年に発生したバーモント州の洪水を背景に、怪物的存在と人間の接触、外宇宙の知識、そして精神的侵蝕を描いた作品である。
作中では、架空の地名や神々、禁断の知識が織り込まれ、クトゥルフ神話世界の拡張に大きく貢献している。
目次
注意
読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。
書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。
物語概要

語り手であるミスカトニック大学の民俗学者アルバート・N・ウィルマース教授は、洪水によって発見された奇怪な死骸をめぐる新聞報道に注目し、地元民の伝承に関心を持つ。
彼は間もなく、ヴァーモント州の奥地に住む孤独な人物、ヘンリー・A・エイクリーから手紙を受け取る。
エイクリーは、自宅周辺で起きる超常的現象(謎の足跡、不気味な囁き声、黒い石に刻まれた象形文字など)について警告し、外宇宙からの存在「ミ=ゴ(Migo)」の関与を示唆する。
次第に、エイクリーとウィルマースの文通は親密になるが、ある時点を境に、エイクリーの態度が劇的に変化し、外宇宙の存在を「信頼すべき友人」として受け入れ始める。
教授は困惑しつつもヴァーモントの山中にある彼の屋敷を訪れるが、現地ではエイクリーが病床に伏し、奇妙な装置とともに囁く声だけで会話を行っていた。
やがて教授は、彼と会話していたのはエイクリー本人ではなく、ミ=ゴが操る声だけの存在、あるいは蝋人形である可能性に気づき、夜のうちに屋敷から逃走する。
物語の結末では、教授が見たものが幻だったのか、真実だったのかを断定することはできず、「宇宙の闇に潜む知性」と「人類の限界」に対する恐怖のみが残される。
主な登場人物
アルバート・N・ウィルマース
ミスカトニック大学の民俗学者。知識と合理性を武器に、民間伝承を研究していたが、エイクリーとの交流により次第に超自然への理解を迫られる。
ヘンリー・A・エイクリー
ヴァーモント州の人里離れた山中に住む博識な人物。ミ=ゴの存在を観察していたが、彼らに狙われ、最終的に失踪または同化の運命をたどる。
ノイズ(偽のエイクリー)
屋敷で教授を出迎えた囁き声の主。正体は不明で、ミ=ゴが操作するエイクリーの声だけの再現装置である可能性がある。
地名と重要要素
ヴァーモント州の山岳地帯
物語の舞台であり、霧と密林に包まれた山々が「囁くもの」の隠れ家である。古墳や奇妙な岩、黒い石などの異常な遺物が発見される。
ミスカトニック大学(アーカム)
ラヴクラフト作品に頻出する架空の大学。ウィルマース教授の所属先であり、クトゥルフ神話研究の拠点とされる。
ミ=ゴ(Migo)
外宇宙から来た菌類的存在で、脳を取り出して円筒に保管し、銀河間を旅させる技術を持つ。
彼らは地球に鉱物資源を求めており、一部の人間と協力関係を築こうとするが、目的は不明確である。
黒い石
象形文字のような刻印がある黒光りする石。異星文明の証拠品として物語に登場する。
考察
『闇に囁くもの』は、ラヴクラフト作品の中でも最も科学的要素が強く、SF色の濃い中編である。
宇宙的存在の介在、外科手術による人間の「部品化」、そして精神的な崩壊といった要素は、後年のサイエンス・ホラーの原型を示している。
また、本作における恐怖は「正体の不確かさ」にある。
エイクリーは生きていたのか、すでに死んでいたのか、語り手が話した相手は人間だったのか否か、読者には明確な答えが与えられない。
曖昧さこそが恐怖を生むという構成は、ラヴクラフトの文体の技巧をもっともよく示す一作である。
『闇に囁くもの』は、クトゥルフ神話に登場する多数の神名や宇宙的設定(ヨグ=ソトホート、ユッグゴトフ、ネクロノミコンなど)も言及されており、シリーズの中核を成す重要作品である。
知的な恐怖と未知の威圧感が同居する、ラヴクラフト流「理性を脅かす怪異」の精華といえるだろう。