『戸口にあらわれたもの(The Thing on the Doorstep)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

ラヴクラフト全集 3 | H・P・ラヴクラフト, 大瀧 啓裕 | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

『戸口にあらわれたもの』は1933年に執筆され、1937年に発表されたラヴクラフト後期の作品である。

創元推理文庫の『ラヴクラフト全集3』に収録されている。

注意

読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。

書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。

物語概要

『戸口にあらわれたもの(The Thing on the Doorstep)』
『戸口にあらわれたもの(The Thing on the Doorstep)』

物語は一人称の語りで展開し、死体となった親友が自宅の戸口を叩いたという衝撃的な冒頭から始まる。

そこから、語り手が直面した数奇な出来事と、それに至る精神と肉体の乗り換え(魂の移動)という禁断の術の恐怖が描かれる。

本作は、魔術的儀式・人間の意識の転移・死者の身体の使用といったテーマを取り上げると同時に、クトゥルフ神話の根幹に位置づけられるヨグ=ソトース信仰やインスマスの血脈とも関係しており、神話体系内でも重要な役割を果たす。

登場人物

エドワード・ダービイ(Edward Derby)

主人公の親友にして被害者。

裕福な家系に生まれ、若くして詩人・神秘学者として知られていたが、アセナス・ウェートと結婚した後に急激に変貌する。

彼は幼少期から精神的に脆弱で、支配的な存在に依存しやすい性格を持つ。

最終的には魂を奪われ、自分の肉体を乗っ取られる悲劇に見舞われる。

アセナス・ウェート(Asenath Waite)

インスマス出身の女性で、魔術的知識に長けた人物。

作中では、彼女の身体に宿っていたのは、実の父であり強大な魔術師であったエフライム・ウェートの魂であることが暗示される。

すなわちアセナスは、形の上では女性であるが、中身は父エフライムその人であり、意識と肉体を操る術を用いて他者の身体を奪う存在であった。

語り手

物語の語り手であり、ダービイの友人。理知的な人物であったが、ダービイの結婚後の異変に直面し、最後には狂気に近い恐怖の中で親友を殺害するという選択を迫られる。

彼の視点によって、物語は過去の出来事を回想する形で語られる。

余談だが作中で名前は名乗っていないが、後年のラヴクラフト研究や書簡、またはアーカム・ハウス版の編集や注釈本などの二次資料において、この語り手が「ダニエル・アップハム(Daniel Upton)」という名で呼ばれるようになったことに触れておく。

エフライム・ウェート(Ephraim Waite)

故人とされていたが、実際にはアセナスの肉体に魂を移し、生きながらえていた魔術師。

彼はインスマスと古代の知識に通じた存在で、ヨグ=ソトース信仰に深く関わっていた。彼の野望は永遠の生と、他者の身体を通じた生存である。

地名・舞台設定

アーカム(Arkham)

マサチューセッツ州の架空の都市で、ダニエルとダービイがともに暮らしていた学術都市。

ミスカトニック大学があり、数多くのラヴクラフト作品の舞台でもある。ダービイはここで教育を受け、詩人として活動していた。

インスマス(Innsmouth)

アセナスの故郷であり、クトゥルフ神話において特異な種族「深きものども(Deep Ones)」との混血が続く異形の町である。

ここでは退廃と近親交配、異種との交わりがまかり通り、エフライム・ウェートもこの町の暗い秘密に関わっていた。

クラウンズポート(Kingsport)

物語には直接登場しないが、関連作品の舞台として重要であり、魔術や古代知識の伝播経路として言及される。

考察

本作は、ラヴクラフトにとって異色ともいえる性別の転換・肉体と精神の分離を扱っており、物語の根幹には「意識の乗り移り(魂の交換)」という魔術的行為が据えられている。

これはクトゥルフ神話におけるヨグ=ソトース信仰と深く関係しており、人間の意識や肉体が絶対的ではないというラヴクラフト的宇宙観を反映している。

また、アセナス/エフライムの支配性と、ダービイの従属的性格の対比は、支配と服従、個の喪失、そして自己崩壊というテーマを際立たせている。

ダービイの魂は奪われ、肉体は乗っ取られ、彼は自らの人格を取り戻すために他者(語り手)に助けを求めるしかなかった。

さらに、ダービイの死体が戸口にあらわれ、語り手に「自分の体を焼き払ってくれ」と懇願する場面は、死者と生者の境界、そして人間の主体性そのものが曖昧であることを象徴する名シーンである。

『戸口にあらわれたもの』は、クトゥルフ神話の一環としての位置づけを持ちつつも、精神・身体・存在の乗り換えを通じて、アイデンティティの崩壊と死後の意識の継続という恐怖を見事に描き出した作品である。

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