『闇をさまようもの(The Haunter of the Dark)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

創元推理文庫の『ラヴクラフト全集3』に収録されている。
『闇をさまようもの』は、1935年に執筆されたH・P・ラヴクラフト晩年の傑作であり、彼の死の前年に発表された作品である。
目次
注意
読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。
書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。
物語概要

物語は、怪奇作家ロバート・ブレイクが、プロヴィデンスの丘の上に建つ廃れた教会を調査し、暗黒の存在を呼び覚ましてしまうという内容で構成されている。
形式的にはブレイクの遺稿や日記という体裁で書かれ、彼の死の謎を追う新聞記事や警察報告と組み合わされて、ドキュメンタリー風の構成をとっている。
本作は、ラヴクラフトが親友であり後継者的作家でもあるロバート・ブロック(Robert Bloch)への返答として書いた作品であり、物語中の主人公「ロバート・ブレイク」はブロックをモデルにしている。
また、クトゥルフ神話において重要な存在である「ナイアーラトテップ」の化身の一つ、「闇をさまようもの(The Haunter of the Dark)」が初めて明示的に登場する作品でもある。
登場人物
ロバート・ハリソン・ブレイク(Robert Harrison Blake)
語り手にして主人公。
若き小説家であり、幻想文学とオカルトに傾倒している。
ミルウォーキー出身だが、夏の間を過ごすためにロードアイランド州プロヴィデンスに移り住み、丘の上にあるフェデラル・ヒルの古い教会に興味を抱く。
ブレイクは教会内部で古文書や「シャッガイの焰の石(Shining Trapezohedron)」を発見し、そこに封印された存在を無意識に解放してしまう。
その後、彼の周囲では不可解な雷雨、停電、そして自身の変化が起こり、最終的には彼は部屋で感電死しているのが発見される。
「闇をさまようもの(The Haunter of the Dark)」
クトゥルフ神話において、ナイアーラトテップ(ナイアーラソテップ、ナイアルラトホテップ、ニャルラトホテプ、ニャルラトテップとも)の化身の一つとされる。
完全な闇の中でしか姿を現せず、光によって追い払われる性質を持つ。
ブレイクが「焰の石」を通してコンタクトしたことで活動を再開し、嵐と停電の夜に彼を殺害した。
この存在は教会の地下に封じられていたが、封印が破れたことで再び自由になった。
プロヴィデンスの警察・新聞記者たち
ブレイクの死を調査する側として登場。彼らの視点からブレイクの日記や所持品が確認されることで、物語の真相が次第に明らかになる。彼らは「闇をさまようもの」の存在には気づかないまま、超自然的な死の痕跡に立ち会う。
地名・舞台設定
プロヴィデンス(Providence, Rhode Island)
ラヴクラフト自身が生涯を通して愛した故郷であり、物語の主要舞台でもある。
現実の地理に基づいた詳細な描写が施されており、作中ではウェスト・スミスフィールド、フェデラル・ヒルなどの実在地名が登場する。
フェデラル・ヒル(Federal Hill)
プロヴィデンスの高台に位置する地区。
移民街として知られており、作中では忌まわしい教会のある場所として描かれる。
この教会は、過去に異端のカルトが拠点として使っていたとされている。
廃教会(イタリア人教会跡)
中心的な恐怖の舞台であり、「闇をさまようもの」が封じられていた場所。
内部には、「シャッガイの焰の石」や禁断の書物が隠されており、闇を崇拝する秘密結社「闇の結社(Church of Starry Wisdom)」の痕跡も残る。
この結社は宇宙的存在を崇拝し、闇の力を求めた集団である。
考察
『闇をさまようもの』は、ラヴクラフトの死の前年に書かれた作品であり、死、未知、宇宙的恐怖という彼の恐怖観が最も純化された形で表現されている。
闇、嵐、教会、石という要素を媒介にして、「人智を超えた存在」が現実世界に侵入する構造は、クトゥルフ神話の典型である。
本作の最大の主題は、知識の代償としての破滅である。
ブレイクは純粋な好奇心と研究心から古代の文献に触れ、「焰の石」を通じて存在を呼び出してしまう。
彼はそれを止める術を持たず、結果として自らの死を招く。
これは、ラヴクラフト作品において繰り返される「知るべきでなかったことを知ってしまった人間の末路」という定型である。
さらに、「闇」が象徴するのは単なる物理的暗闇ではなく、宇宙の無知と人間存在のちっぽけさである。
「闇をさまようもの」が「光を忌み嫌う」性質を持つという点は、人間の理性や科学が通用しない領域を象徴している。
プロヴィデンスという現実の街を舞台にしているからこそ、恐怖はより身近に、より深く読者に突き刺さる。
『闇をさまようもの』は、ラヴクラフトの芸術的完成度が高く、神話世界における重要な化身の初登場作品でもあり、死を予感していたかのような暗い余韻を残す、最後の傑作の一つである。