『詩と神々(Poetry and the Gods)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

ラヴクラフト全集 7 | H・P・ラヴクラフト, 大瀧 啓裕 | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon
『詩と神々(Poetry and the Gods)』は、H・P・ラヴクラフトが1920年にアンナ・ヘレン・クローク(Anna Helen Crofts)との共作として発表した短編幻想作品である。
本作は、古典ギリシアの神々と詩の霊感を主題にし、夢幻的で象徴的な語り口を用いて、芸術と神性との関係性を描いている。
クトゥルフ神話的要素は登場しないが、後の「夢の国サイクル」につながる詩的世界観の先触れとして位置づけられる作品である。
創元推理文庫の『ラヴクラフト全集7』に収録されている。
目次
注意
読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。
書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。
物語の概要

物語は、20世紀初頭の都会に暮らす若い女性、マージョリー(Marcia)が主人公である。
彼女は日常の機械的・無味乾燥な生活に疲れ果てており、古代の詩や神話にこそ真の魂の慰めがあると信じていた。
ある夜、彼女は詩の書かれた本を読みながら眠りに落ち、そこから夢の中で神秘的な光に包まれた神々の領域へと誘われる。
その夢の中で、マージョリーはまずヘルメス神に出会い、彼の導きによって、かつてオリンポスを統べた神々が眠りから目覚める場面に立ち会う。
長らく人類から忘れ去られていた神々であるゼウス、アポロン、パン、デメテル、アフロディーテなどは、詩の力によって再び呼び覚まされ、世界へと戻ってこようとしていた。
神々は、人間世界が産業と合理性に染まり、霊感を失った現代において、詩を通して再び精神的覚醒を促そうとしている。
彼らはマージョリーに、やがて新たな詩人が生まれ、芸術によって神々が復権する時代が訪れると告げる。
やがて彼女は目を覚まし、夢の中で語られた神々の言葉を胸に、世界が変わり始める予感を感じる。
物語は、芸術こそが神々の霊感を現代に甦らせる力であるという主張を残して幕を閉じる。
登場人物
マージョリー(Marcia)
物語の主人公。
現代文明の無味乾燥な日常に疲弊し、古代詩と神話に憧れを抱く若き女性。
彼女は夢の中で神々と接触し、詩と信仰の復興の可能性を示される「選ばれし者」である。
ヘルメス(Hermes)
ギリシア神話の伝令神。
マージョリーを導いて神々の夢の領域へと誘う役割を担う。
俊敏かつ理知的な存在であり、夢の案内者として登場する。
ゼウス、アポロン、デメテル、アフロディーテ、パン 他
かつてオリンポスを支配した神々たち。
長い間人類に忘れ去られていたが、詩の力によって再び目覚め、人間世界への帰還を準備する。
未来の詩人
物語には直接登場しないが、神々が語る「霊感を受ける者」。
芸術を通して神々と再び交信し、人々の精神を解き放つ役割を担う象徴的存在である。
地名
現代の都会(Unnamed city)
マージョリーが住む場所。
産業化され、機械的で、芸術と神性を失った場所として描かれる。
ラヴクラフトが嫌悪していた「現代的無精神世界」の象徴である。
夢の国/神々の領域
彼女が夢の中で訪れる場所。
光に満ち、詩的な静寂と美に包まれた空間であり、古代の神性が眠る「精神世界」の象徴である。
ラヴクラフトの後期作品における「夢の国」設定の前兆と見なされる。
解説
『詩と神々』は、ラヴクラフトの通常のコズミック・ホラーとは一線を画する作品であるが、「見えざる次元からの啓示」や「夢を通じた霊的接触」という要素においては、ラヴクラフト的世界観の根幹に通じている。
恐怖の代わりに美と崇高の感覚が強く打ち出されており、本作は「幻想文学」や「象徴主義的詩」としての側面が強い。
また、本作にはラヴクラフトの古典崇拝、合理主義への懐疑、芸術と精神性の復権という思想が濃厚に反映されている。
神々とは、単なる宗教的存在ではなく、芸術や詩といった人間の精神的営為に宿る象徴的実在であり、それらが忘れ去られた現代社会に対する批評的視座を提供している。
共著者アンナ・ヘレン・クロークスの影響もあると考えられ、ラヴクラフト作品の中では女性的感性と理想主義的メッセージが際立つ珍しい作風である。
『詩と神々』は、ホラーではなく、詩と夢と神話を融合させた幻想文学としてのラヴクラフトを知るための重要な作品である。