『ナイアルラトホテップ(Nyarlathotep)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

H・P・ラヴクラフト作「ナイアルラトホテップ(Nyarlathotep)」は、1920年に執筆された短編であり、夢と幻覚に満ちた象徴的な文体とともに、クトゥルー神話における「這い寄る混沌」ナイアルラトホテップの初出作品として知られる。
本作は明確な筋書きというよりは、終末的幻視の連続によって構成され、文明崩壊と人間理性の限界をテーマにしている。
創元推理文庫の『ラヴクラフト全集5』に収録されている。
目次
注意
読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。
書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。
物語の概要

本作は「わたし」と名乗る一人称の語り手によって記述される。
時は不詳だが、現代的な都市文明が末期的混乱にある時代背景が想定されており、科学、秩序、そして社会の枠組みが崩壊しつつある不穏な世界が描かれている。
物語の中心には「ナイアルラトホテップ」という存在がある。
彼はエジプトより現れた神秘の人物であり、「這い寄る混沌(Crawling Chaos)」として知られ、見世物的な公演を各地で行って人々を魅了しつつ、彼らの精神を崩壊へと導く。
語り手はある夜、ナイアルラトホテップの催しに参加し、奇怪な映像と音響の中で狂気と恐怖に満ちた啓示を受ける。
その後、群衆は分裂し、語り手は他の者たちと共に不可解な隊列をなして歩き、やがて荒涼たる世界に導かれる。
彼の前には、雪に覆われた原野、空虚な都市の亡骸、崩壊した塔、深淵、そして宇宙的な黯黒のヴィジョンが次々と展開される。
物語の終盤では、「宇宙の墓場」において盲目の神々が不浄な神殿で踊っている幻視が語られ、その中心にナイアルラトホテップの姿がある。
登場人物
語り手(「わたし」)
物語を語る主体であり、理性ある人間として描かれるが、ナイアルラトホテップの出現によって次第に現実感を失い、終末の幻視に巻き込まれていく存在である。
最終的には深淵へと呑み込まれるが、その過程を淡々と、かつ夢の中にいるように語る。
ナイアルラトホテップ
クトゥルー神話において最も人格的な外なる神であり、本作では「這い寄る混沌」として登場する。
人間の姿を取り、ファラオのような風貌で現れるが、その本質は理性の破壊者、真理の歪曲者である。
科学、魔術、予言、幻視を通じて人間を破滅へと導く存在であり、全宇宙的な終末の象徴である。
群衆・観客
ナイアルラトホテップの催しに惹かれて集まる者たち。
語り手の友人も含まれており、誰もが精神的な影響を受け、やがて街から荒野へ、荒野から深淵へと歩みを進める。
彼らは名もなき象徴的存在として、人類の没落と無力を象徴している。
地名・象徴・モチーフ
「都市」「塔」「橋」「路面電車」
具体的な地名は挙げられないが、都市文明の象徴的風景として「古く巨大で犯罪に満ちた街」「川辺の塔」「錆びた電車の線路」などが描かれる。
これらは人類の築いた文明が静かに、しかし確実に崩壊していく様を暗示する。
「深淵」「雪」「死の風」
物語後半に現れる、非現実的な風景。
雪に覆われた暗い原野、深淵に開いた穴、星々が弱く瞬く空、これらは死後の世界、もしくは宇宙の最果てにある狂気の領域を意味する。
語り手が理性と現実を喪失してゆく過程の中で、世界そのものが変質していることを示す。
「黒暗々の房(ぼう)」「盲目の神々」「フルートの音」
クトゥルー神話の重要な概念の初出であり、「アザトース」的存在の暗示でもある。
混沌の中心には、意味を持たず、意志もなく、ただ舞い踊る存在があり、それにナイアルラトホテップが仕える。
これは、ラヴクラフトが提示する「宇宙的無意味さ」の核心である。
考察
「ナイアルラトホテップ」は、物語というより詩的黙示録であり、理性と文明が崩壊してゆく終末の夢幻を描いた作品である。
登場する人物や舞台はあくまで象徴的であり、現実の地理や論理からは乖離しているが、それこそが本作の目的である。
ナイアルラトホテップは以後のラヴクラフト作品にたびたび登場するが、本作では特に「理性を狂気に転化させる神」「偽りの啓示者」としての側面が強調されている。
そして彼に従った群衆と語り手は、現実からの逸脱と、宇宙的恐怖への帰結を象徴する。ラヴクラフトの「コズミック・ホラー」が、最も詩的かつ原型的に表現された短編の一つである。