『銀の鍵の門を越えて(Through the Gates of the Silver Key)』(H.P.ラヴクラフト著)の解説

ラヴクラフト全集 6 | H・P・ラヴクラフト, 大瀧 啓裕 | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon

『銀の鍵の門を越えて(Through the Gates of the Silver Key)』は、H・P・ラヴクラフトとE・ホフマン・プライス(E. Hoffmann Price)による合作として1932年に執筆され、1934年に発表された長編風の短編小説である。

本作は『銀の鍵』の直接的続編であり、ラヴクラフトの幻想世界観をさらに拡張した壮大な宇宙的神秘譚である。

ここでは時間と空間、肉体と魂、実在と夢の境界が解体され、クトゥルフ神話における形而上的領域の核心が描かれる。

創元推理文庫の『ラヴクラフト全集6』に収録されている。

注意

読者の体験を損なう可能性があるため、本解説を読む前に先に物語を読んでおくことを強く推奨する。

書籍の表紙以外に掲載しているイラストはあくまで本ブログによる創作物であり、公式に発表されているものではない点に注意して頂きたい。

物語の概要

『銀の鍵の門を越えて(Through the Gates of the Silver Key)』
『銀の鍵の門を越えて(Through the Gates of the Silver Key)』

物語は、失踪したランドルフ・カーターの法的遺産処理のために開かれた集会から始まる。

場所はニューオーリンズであり、数名の人物が遺産相続のため集められる。

その中には、奇妙な東洋風の男であるスワーミ・チャンドラプトゥタ(Swami Chandraputra)という人物がいた。

彼は顔を包帯で覆い、怪しげな雰囲気を漂わせていたが、彼こそが「ランドルフ・カーター本人」であると主張する。

スワーミは自身の正体を語るにあたり、驚くべき物語を語り出す。

それがすなわち、カーターが銀の鍵を用いて行った時間と次元を超える旅の記録である。

カーターは、かつての自分、10歳の少年の姿に戻ったことで、夢の国を自由に旅できる存在となった。

しかし彼はさらなる探求を求め、夢の国の深奥にある銀の鍵の門(the Gates of the Silver Key)へ向かう。

そしてウルタールから出発し、ナス=ハトグの門、七つの色彩の虹橋、さらには時間そのものを司るヨグ=ソトースの領域へと至る。

そこで彼は、無限の宇宙に散らばる無数の自己の一つに過ぎないことを悟る。

彼の魂は、全宇宙に偏在する自己の一断面であり、時間も空間も超越した“真の存在”であった。

そして、カーターは異世界の存在であるザシャンの“翼ある種族”の身体に乗り移る形で現実世界へ戻ることを望むが、その帰還は不完全なものであり、やがて彼は「人間ではないもの」として地上に戻ってくる。

それがスワーミ・チャンドラプトゥタの正体であった。

彼の告白ののち、集会に参加していた人々の一部は彼を狂人、あるいは詐欺師と見なすが、一人の男は恐怖にかられてスワーミを撃ち殺す。

彼の死体からは、明らかに人間ではない身体構造が露見し、事態の異常さが明らかとなる。

登場人物

ランドルフ・カーター(Randolph Carter)

作家にして夢の旅人。夢の国を通り越し、宇宙的な存在へと変貌していく。彼の魂は多次元的であり、ザシャンの翼ある存在として帰還するが、人間としての姿はもはや保たれていない。

スワーミ・チャンドラプトゥタ(Swami Chandraputra)

カーターの精神が宿った異星人の身体。

外見は異様で、包帯で顔を隠している。

物語冒頭から語られる人物であり、カーター本人と同一である。

ヨグ=ソトース(Yog-Sothoth)

全時間・全空間に偏在する外なる存在。カーターが銀の鍵の門を越えて出会う存在であり、すべての可能性世界に通じる「鍵と門」である。

地名

ウルタール(Ulthar)

夢の国にある町。

カーターが旅を開始する拠点であり、前作『銀の鍵』においても重要な地である。

ザシャン(Yaddith)

時間的には未来、空間的には遥かな宇宙の彼方にある惑星。

知的生命体「翼ある種族」が住んでおり、カーターはこの種族の一員に“宿る”ことで宇宙の旅を可能とする。

ナス=ハトグの門

銀の鍵の門の先にある異次元の関門であり、そこから多元宇宙への旅が始まる。

ニューオーリンズ

スワーミ・チャンドラプトゥタの法的証言の場。

物語のフレーム構造となっている現実世界の都市である。

解説

『銀の鍵の門を越えて』は、幻想文学、哲学、宇宙論が融合したラヴクラフト作品の中でも特に形而上的な意味合いが強い作品である。

カーターの旅は、単なる夢幻の探求ではなく、「存在そのものの本質」への到達を志向するものであり、ここにはプロティノス的な多元的実在論、シュタイナー的な霊的進化、さらには相対論的宇宙観すら含意されている。

また、「自我とは何か」「人間性とは何か」という問いが、本作の中心に据えられている。

カーターは己の魂を宇宙的な存在の一部と理解し、自身が一個の人格にすぎないことを悟るが、それでもなお「人間的な感性」を保ち続けようとする。

この葛藤こそが、宇宙的恐怖の真髄である。

また、ヨグ=ソトースのような存在を通じて描かれるのは、神ではなく「法則」としての超越者であり、人間の祈りや道徳とは無縁の冷徹な実在である。

その世界観においては、人間の存在すら一つの「状態」に過ぎず、物語は徹底した非人間中心主義を貫いている。

『銀の鍵の門を越えて』は、カーター・サイクルの終着点であり、夢の国を超えて宇宙的実在に達した男の帰還と変容を描いた、まさにラヴクラフト的「超次元幻想譚」の極致といえる。

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