山上被告の無期懲役判決が照らし出さなかった社会的背景

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ソース
安倍元首相銃撃、山上被告は判決に不服語らず 宗教学者が面会 – 日本経済新聞
無期懲役判決が照らし出さなかったもの
奈良地裁は、安倍晋三元首相銃撃事件について、被告の山上徹也に無期懲役を言い渡した。
判決は、計画性、結果の重大性、社会への影響の大きさを重視したものであり、刑事司法の論理としては予測可能な結論である。
しかし、この判決が確定的に示したのは「犯罪としての評価」であって、「なぜそこに至ったのか」という社会的背景を十分に扱ったものではなかった。
本稿では、司法が構造上拾いきれなかった問題に目を向けたい。
動機の理解と責任の評価は別
公判を通じて明らかになったのは、被告の犯行動機が個人的な利害や快楽ではなく、旧統一教会問題に深く根差していたという点である。
弁護側証人として出廷した宗教学者の桜井義秀も、宗教的虐待という観点から被告の生育環境を説明した。
裁判所はこの点を否定していない。
むしろ、動機の形成過程については一定の理解を示したうえで、それでもなお重大犯罪であるという判断を下している。
ここで重要なのは、動機が理解可能であることと、刑事責任が軽減されることは同義ではない、という司法の原則である。
この原則自体は、法治国家において否定できない。
問題は、その原則の外側にこぼれ落ちた部分である。
象徴的存在を標的にするしかなかった構図
被告が狙ったのは、直接の加害者ではなく、象徴的な存在だった。
被害者である安倍晋三と旧統一教会との関係については、事件後、複数の報道や検証番組によって社会的に広く共有されるようになった。
安倍3代と統一教会 半世紀余りの“組織的関係”の原点 「信者が40人いれば1人当選させられる」【報道の日2024】 | TBS NEWS DIG (1ページ)
ただし、刑事裁判においては、
・象徴性
・政治的影響力
・道義的責任
これらはいずれも量刑判断の中心にはなり得ない。
その結果、裁判所は「直接的な被害を与えていない人物を殺害した」という一点に集約せざるを得なかった。
だが、ここには別の問いが残る。
なぜ被告は、教団や制度そのものではなく、象徴を攻撃する以外の道を見いだせなかったのか。
巨大組織と個人の間にある断絶
旧統一教会のような巨大宗教法人と、一個人との間には、明白な非対称性が存在する。
・資金力
・法務体制
・政治的影響力
・社会的ネットワーク
理論上は、民事訴訟や行政救済の道は存在する。
しかし現実には、それらが「実際に機能している」と被害当事者が感じられるかどうかは別問題である。
被告が制度を信頼できなかった背景には、
・長期間にわたる家庭崩壊
・救済の遅れ
・社会的無関心
が積み重なっていた。
裁判所は「民事訴訟などの合法的手段があった」と指摘したが、それはあくまで“手続きが存在するという形式的な事実に過ぎない。
長年、与党である自民党と旧統一教会の近接した関係によって、自分たちの被害が十分に顧みられてこなかったと被告が感じていた状況では、その門戸は実質的に閉ざされていたに等しかった。
司法が手続き論を説けば説くほど、絶望の深さとの乖離が際立つ結果となった。
刑事裁判では裁けない暴力
この事件が突きつけたのは、明確な違法行為だけではない。
・宗教的虐待
・経済的搾取
・家族関係の破壊
・救済制度の不全
これらは個別には違法と認定されにくく、長年放置されてきた。
刑事裁判は、発生した犯罪を裁く装置であり、犯罪を生み出した構造を修正する装置ではない。
その限界が、今回の無期懲役判決によって、かえって鮮明になった。
問われるべきなのは、判決の是非ではない
無期懲役という判断は、日本の量刑実務の中では合理的である。
それを否定することは、司法制度そのものを揺るがしかねない。
しかし、ここで議論を終わらせてしまえば、同じ構図は繰り返される。
問われるべきなのは、
- 宗教被害を早期に察知できなかった社会
- 制度が信頼されなかった理由
- 孤立した個人が暴発するまで放置された現実
- 日本の与党である自民党と旧統一教会の関係が事件後に改めて可視化されたこと
- 安倍元首相がその関係性の中で象徴的存在と受け止められていたこと
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である。
この事件は、異常な個人の物語ではない。
社会が長年見過ごしてきた歪みが、最も破壊的な形で噴出した結果である。
司法は犯罪を裁いたが、次に問われるのは社会の側が何を改めるのか、という問題である。
個人的な感想
無期懲役という判決の論理は理解できるが、納得とは別であり、この刑が唯一の選択だったのかという疑問は残る。
もし刑事制度が更生や社会復帰を重要な目的の一つとしているのだとすれば、社会から完全に切り離すことだけが答えだったのか、改めて問われるべきではないだろうか。
被告が深刻な被害の連鎖の中に置かれていたこともまた、この事件の一部である。