機動戦士ガンダムGQuuuuuuX(ジークアクス)は傑作か駄作か

全12話を見た感想を書く。
ちなみにジークアクスの劇場版は見ていない。
目次
筆者のガンダム視聴履歴
- 初代(TV&劇場版)
- Z(TV&劇場版)
- ZZ
- 逆襲のシャア
- 0083
- F91
- Vガンダム
- 第08MS小隊
- ポケットの中の戦争
- MS IGLOO
- UC
- THE ORIGIN
- NT
- 閃光のハサウェイ
- G
- W(TV&劇場版)
- X
- ∀
- SEED
- SEED DESTINY
- STARGAZER
- SEED FREEDOM
- OO(TV&劇場版)
- AGE
- 鉄血のオルフェンズ
- 水星の魔女
- ビルドファイターズ
- ビルドファイターズトライ
物語
当初のビジュアルを見ている限り、完全なアナザー系のガンダム作品だと思い込んでいた。
実際に見てみると機動戦士ガンダム(初代)の「もしシャアがガンダムを奪取したら」という点から始まっており(TVでは2話)、機動戦士ガンダムのIF作品であることが分かる。
ジオン軍が事実上勝利し、シャアが行方不明になった世界が、ジークアクスの舞台になる。
サイド6に住む少女マチュが、戦争難民のニャアンとシャアの赤いガンダムに乗っているシュウジと出会い、ニュータイプやジークアクスに関する混乱に巻き込まれていく。
良かった点
国家間戦争とはまた違う物語
今までの機動戦士ガンダムは、連邦とジオン、連合とザフトのように、各陣営の戦争に少年少女が巻き込まれていくのが王道だった。
本作では特定の勢力が敵ではなく、世界の謎にスポットを当てている。
主人公マチュの立ち位置も連邦やジオンに所属しているわけでもなく、非常に曖昧で不安定なのが興味深い。
Gガンダムや劇場版OO並に斬新だと思う。
キャラクターデザイン
シンプルかつ特徴的で、独特の色使いのデザインは、新しい表現手法として良かった。
特にすぐに感情を表に出すマチュの表情は面白い。
OP
疾走感のあるOPで、歴代のガンダムOPでもかなり良い方。
悪かった点
視聴対象者の食い違い
マチュが衝動的な少女として描かれており、女性なら共感出来る部分が多くあるかもしれない。
ガンダムというもはや中高年層が多くなっているコンテンツにおいて、視聴者の求めるモノとのズレがあるように見受けられる。
モビルスーツのデザイン
エヴァンゲリオンのカラーが制作に参加したとのことで、モビルスーツもエヴァンゲリオンの雰囲気に近い。
生物のように描くことは、既にエヴァンゲリオンで多くの人が既に体験していることであって、新鮮味はあまり感じなかった。
純粋にロボットや工業製品として見ると、ぐちゃぐちゃしていて格好いいとは言えない。
クランバトル
そもそもサイド6政府が放置している理由がよく分からない。
コロニーの外で金儲けのためにモビルスーツ戦を行うなんて、危険な宇宙に住む人間の感覚からはかけ離れている。
マチュの動機
マチュの行動はシュウジという少年に対する好意が原動力になっているが、説得力が乏しく共感しにくかった。
例えば「機動新世紀ガンダムX」のガロード・ランも、ヒロインのためにガンダムで戦っており、「好きな人のために」という部分で両者は共通している。
それはヒロインのティファ・アディールが能力を利用するために研究材料にされて助けが必要だったこと、ガロードも自身の不幸な境遇やジャンク屋として荒事に対する慣れもあって、視聴者を十分に納得させる根拠を揃えている。
しかしマチュはニュータイプとは言え、両親も健在である幸せな家庭で育ち、一般の学校に通う学生である。
将来に対する漠然とした不満を持っていたようだが、それでも彼女を死の危険が伴うクランバトルのような退廃的な環境へと引きずり込んだ理由がよく分からない。
シュウジも別にマチュの助けを求めていた訳でもなく、あくまでマチュが自発的にシュウジとの関わりを保つために、参加した。
巨大なガンダム
ニュータイプ的な要素はSFとして受け入れられるが、ガンダムが大きくなって戦うなどもはやファンタジー。
酷いモノを見せられた。
古谷 徹の出演
最終回にアムロ・レイ役の古谷のセリフが僅かにあった。
彼は不倫関係が報じられ、それまで今まで演じてきた数々のキャラクターを汚すことになった。
アムロ・レイもその中の一人である。
今回の出演は視聴者の反応を試して、彼の復帰に対する反応を見るために使われた可能性があると見ている。
本作では既にシャアの声は違う人が当てられており、最終回でこのような中途半端な形で参加したことが個人的には卑怯だと思う。
古谷がどのような形で参加するのであれば、GQuuuuuuXの制作前に記者会見でも開いて説明し、完全な状態で本作にアムロ・レイを登場させて欲しかった。
彼の問題を関係者が作品に中途半端に持ち込んだことは、非常にズルいやり方である。
感想
キャラクターの動機って大事だなと再確認させられた作品。
例えばまったくジャンルは違うが、「鬼滅の刃」では唯一生き残った主人公の妹が鬼にされてしまい、鬼から人へ戻すために主人公は必死に戦う。
つまり唯一の家族を救うために、必死で戦う主人公の姿を描くことで、万人が共感出来るわけだ。
本作の主人公であるマチュには、そのような共感できる動機が全くなかった。
そもそもマチュが主人公である、もっと言えばマチュとニャアン、シュウジがこの物語において必然だったかという疑問が残る。
ララァを主人公にして話を進めた方が、もっと綺麗にまとまった作品になったと思う。